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■11月19日『棹者無双』 於西荻窪サンジャック

  • 2010/11/20(土) 10:50:57

出演

日比谷カタン
堀内幹
 
というわけで『棹者無双』。
日比谷カタン氏の、肝煎り企画。


そんなイヴェントの先手が自ずから、というところで、
カタンさんのトリッキーさは発揮されていると思うのです。
“ててご橋”(子連れ狼)~
“誰かが風の中で”(木枯らし紋次郎)~
“大江戸捜査網のテーマ”(大江戸捜査網)
と、
短縮版・時代劇メドレーから始まったアクトは、
少しの笑いも呼び起こしつつ(上條恒彦が怖すぎるんだってば)
『棹者無双』というタイトルが喚起するイメージへの、一つの呼応、サービス的展開だったと思う。

でもここからは容赦がなかった。
オリジナル曲(“亡魂咆哮”除く)で畳みかけてくる攻勢は、
硬軟併せ持つカタンさんの“硬”の部分に焦点が合わせられた、とも言うべきセットリスト。
このブログの1個前の記事にも書いた『エクスペリエンス・ジャパン!?SP』でも見せたような、
黙々と、ただ黙々と手練の境地に墜ちてゆくような様を、
緩急織り交ぜながらもまざまざ見せつけられる。
曲解説もいつもより懇切丁寧で、そこに煙に巻くよないつもの浮足だったMCは、
目立って感じられない(少しはある、しかもカナリ冴えていたのに)。

どこまでも途切れぬ緊張の糸。
 それを辿って行って、アタマの中で辿り着いたのは、
人っ子一人見えない、けれど確かにそこで何かがあった、と確信させる、酸鼻極まる荒野の風景。
呆然とその妄想に縛られて動けずにいると、耳慣れたギターの旋律が聞こえてくる。
“対話の可能性”にすくわれる。
救われたのか掬われたのかは判らねど。
ここで、ふ、と現実、西荻窪の、ごはんの美味しいライヴビストロ、サンジャックに呼び戻される。
そして“畸形認メ申ス”の、最後の一節が、先刻の荒野の残像のように、一瞬、吹き荒び、
“お粗末”の声で〆。

そしてしばしの休憩を挟んで、堀内幹氏の登場。

背後に置かれた無間棹
(つまりは、これが幹さんの得物、といえよう。
カスタマイズしまくった、低音に不思議な響きを持つギター)
に、ついつい眼が行ってしまうけれども、
ギブソンのアコースティック・ギターが奏でる
静かなきらめきを湛えた音が連なって、耳をそばだてる。
幹さんの声は無骨で、清流と流木のように、相反しながら一つの風景をつくる。
足首に括り付けた鈴、素足を踏みこんで刻まれるリズム。
これまでライヴハウスでそのアクトを観ていたときは、
ステージの上で発せられる『全身音楽』を、立ち位地を隔てたところで聴いていたのだけれど、
サンジャックのステージは、客席と地続きなのだ。
つまり、幹さんが踏み込めば、その振動は直に床を通してわたしたちの足許と繋がる。

数曲ののちに、板笛のようなものを口元に携え、いよいよ無間棹を構える幹さん。
カタンさんによる、フライヤでの殺し文句「無間地獄の召還」にしっかり呼応して、
爽やかな笑顔(!)で
「じゃあ、召還します」と始める。
ざくざくと刻む低音の無間棹。差し挟まれる甲高い笛の音。
念仏のような重々しさを叩き込む詩と、節、そして咆哮。

ストイックな姿、そこから立ち現れる荘厳な雰囲気。
幹さんがそういったものを纏っているひとだ、と、
何度かライヴを拝見していて、知っていたつもりでいた。
そしてアルバム“one”を聴いたとき、
まるでシューゲイザーのように夢幻的で、一種の清涼さも感じさせる音と、
抑えて敷き詰められた激情に、意外な程の柔軟性を感じて、驚きおののいた。

oneone
(2010/09/01)
堀内幹

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そしてこの日の、このライヴであるよ。
いつもと違うところで観た、ということも手伝っているのだろうけれど、
ぐっと生々しくて、親しみと畏怖とを、同時に感じさせる御仁である、という一面をも知れた。
堀内幹、というひとは、不定形に完成されているのだと思う。
ただ、あまりにもわたしたちがその全貌を知る機会が、少ないだけなのだ。

アンコールの拍手鳴りやまぬ中、幹さんの立つステージに再びカタンさん、召還。
そしてふたりでのセッション。
お題目は三橋美智也“達者でナ”
閉じられたと思った無間地獄の扉がもう一度開く。
“達者でナ”というのは、地獄に再び送り出されるわたしたちへの皮肉のようにも聞こえる…
なんてのは後付けの感想だけれども。

それは、業と業の拮抗。なんというか、鍔迫り合い。
幹さんの低音に、カタンさんの明滅するようなピッキングがぶつかり合って融けて散る。
アプローチはまったく違うのだけれど、
わたしは初めてこのふたりの競演を観たときから、相似形であるよな気がしてならない。
カタンさんの“硬”のライヴを観て、幹さんの“one”というアルバムを聴いて。
その機会を得たことで、「やっぱり、ともすると」と確信に近づいてゆく。
ゆるやかなサンジャックの空間が、ここまでの斬り結ぶような緊張感に包まれたのを、
わたしは観たことがなかった。

この日のライヴは言うなれば、
棹者無双の地獄道、峠での一瞬の邂逅。
通過点と呼ぶには惜しい、一つの達成があったように思う。

けれど、ふたりが往くのはそれぞれの無間地獄、ですからね。
それを、重くも思い、
また、喜ばしくも思ってしまう観客がいるとすれば、
それこそも“鬼”なのかもしれない…。

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