スポンサーサイト

  • --/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

■10月18日『キの音イキの根』 於吉祥寺MNADALA-2

  • 2010/10/18(月) 13:04:59

出演
FRATENN
三枝彩子向島ゆり子
小窓ノ王
堀内幹


今年の1月から始まった、堀内幹さん企画のイヴェント。
この度はVol.5で、今年最後、とのこと。

Vol.1を拝見したときに、
どこかで、なにかを、変えようとしている風と、
それに突き動かされる新芽のよな、たくましさとストイックさを感じた。

それから間を開けて、Vol.4を拝見したとき。
ストイックな印象は少しばかり和らいで、
“和を以て尊しと成す”とゆう背景が見えた。
そのときに折り込まれていたVol.5のフライヤを見て、
「あ、行こう」と決めていた。

のは、このイヴェントが、多様性や差異を、
多様性や差異のまま受け容れ
あるがままのかたちでそこに表しているから。
そして、そこに見出す意味を、こちらに委ねてくれる。

「平和」というのは、環境よりも、そういった所作を表す言葉である方が、
相応しいよに、思う。
“たいらかになごむ”。
それは、強制することでも、つくり出すものでもなくて。
ただそこにあって、それを受けとめる
その一連の行為。そんな気がした。

そして、それを意味とするならば。
聴いていて、ナカナカに
心中穏やかには終わらせてくれないよなミュージシャンが集まっているのに、
イヴェントの頭から最後まで、わたしのこころは平和だった。

一番手のFRATENNは、ものすごく遠いところを感じさせる。
突拍子もないドラミングが続き、じゃりっとした重たいギターが掻き鳴らされる。
その上をコトバが浮遊している…かと思えば、
突然、美しいメロディーに乗って歌われたりもする。
めちゃくちゃハイトーンヴォイスで歌って、
喋るときもまったく同じキイだから、唖然としてしまう…。
それは、“理解しよう”というアタマで臨むと、到底届かない地平を指し示す。
けれども、心地よくないわけではない。むしろ、
ノリようもないんじゃないか、くらい手数の多くて珍妙なドラムから、
リズムを導き出して、勝手にかかとが動いてしまう。

続く三枝彩子さん向島ゆり子さん
ラフなティーシャーツ姿の男二人から一転、
モンゴルの民族衣装で身を固めた彩子さんと、
ゆったりと、でも不思議なフォルムのワンピースを纏ったゆり子さん。
奏でるのは、モンゴルの伝統詠唱“オルティンドー”と“ボギンドー”。
およそ、触れたことがほとんどない民族音楽にゆり子さんのヴァイオリンが絡むと、
にわか遊牧民な気分になり、
脳内に描かれた架空の平野で遊ぶ。走る。
ゆり子さんは、カナリ徹底したアレンジを施して弾いているらしいのだけれど
初めて触れる音楽に、それはドラマ性を強くもたらす。
そして、一曲一曲への丁寧な彩子さんの説明。
背景にある世界と、“イマココ”のギャップを激しく感じるけれども、
そこに壁を作らず、扉を開いてくれるのがふたり。

続いては、ピアノヴォーカル・さんと、ドラムス・植村昌弘さんの
小窓ノ王
航さんは、ソロと、ギャルバン(らしき)『ヤブコギ』で拝見したことがあって
実は小窓ノ王は初めて。わりと、耳馴染みのある曲が多いので、近しさを感じて、安堵する。
航さんのうたには、“道”を感じる。歌詞にもわりと出てくるけれど、
それだけではなくて。
“道”の歩き方で、航さんは遊んでいるような印象があって、それはさながら
子どもの頃の夕暮れの思い出に、近い。
わざと細い道に入ったり、つま先の前にぴったりかかとをつけ、一歩、二歩、と進んだり。
そういう“通ってきた道”に新しい光を当てるのが、彼女のピアノで、
追いかけるように、追い越すように、絶妙の位置で刻んでいるのが植村さんのドラム。


そして、アコースティックギターを左に、無間棹を右に携え、
堀内幹さんが登場する。
幹さんのコトバは、詩になるための美しさと響きを持っている。
そしてギターも、細かいところまで音がみっしりと構築されている。
なのに、彼がひとり、ステージに現れて、弾き、
歌うだけで、生々しく温度が上がるのを感じる。
幹さんは、まっすぐ前を向いて、背筋も崩さず歌い、がなる。
そこには抑制と暴発が同時に起こっていて、
じぶんが抱えるしがらみやら悩みは、その間だけ、霧のよに消え去っている。
彼が最後にうたうことで、このイヴェントに、ひとつの指標ができたよに感じたのです。

観たこともない、さながら宇宙空間のよなところから、
遊牧民の遊ぶ平原、そして、懐かしい道。
と、世界は徐々に、わたしの身体に近づいてくる。
そして、内側をめくって曝すよな、幹さんの存在。

外側から得たものは、じょじょに、自分に近づき、最終的に蓄えられてゆく。
それを昇華するのは、あくまでじぶん次第なのだけれど、
飽和なんかはしてしまわない。
人間のインナースペースの深さを、信じることができる。

『キの音イキの根』Vol.5は、その方向性を
トテモ解りやすいかたちで、示してくれたイヴェントだったと思います。
だって、ナカナカないもの。この取り合わせを思いつく、そして
実践する、という場が。

今年は、これで最後。
来年はどう展開してゆくのか。
トテモ
キになるのです。

関連記事
スポンサーサイト

この記事に対するトラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事に対するコメント

コメント投稿

管理者にだけ表示を許可する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。