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■9月19日『闇と、月になる」於下北沢440

  • 2010/09/23(木) 00:00:00

クレーター主人からの引き継ぎもあったので(笑)
せっかくなので、闇空が白まぬうちに。

出演
青葉市子
日比谷カタン
SpeakerX(ウーネリーズ)
キツネの嫁入り


まずは、青葉市子嬢。

不和リン
ココロノセカイ
光蜥蜴
イソフラ区ボンソワール物語
日時計
腸髪のサーカス
新曲(CMコーナー)
黒のクレール(大貫妙子カヴァー)
重たい睫毛


青葉嬢については、クレーター主人のブログを読まれるのが手っ取り早いですよ。
嘘です(嘘じゃないけど)ごめんなさい。
わたしにとっては、久々にステージを拝見することとなった青葉嬢。
彼女の構成力も演奏も、最早盤石。
さりながら、新曲や即興曲、ディテールの震え。
そうしたものが、日々の細胞の繰り変わりを感じさせる彼女は、一度観出すと、
毎日でも観ていたくなってしまう。

この日の“黒のクレール”は、すこし声に稚さを感じたのです。
「あ。青葉市子が歌う“黒のクレール”なのね」
と、思った。

彼女の声で、言葉のひとつひとつを意識して聴きだしたとき。
青葉嬢の紡ぐものの硬度と光度と温度に気付く。
それが、まだありありと見えるだけの光は、ステージに残されていて。

日比谷カタン氏は裏声のハミングから入る。
ちょっと不協和音ぽいけれども、もうそのアルペジオで、
何の曲が始まっているのかは解る。

あっちの空っていいな(URiTAカヴァー)
いびつな月のはからい
スキゾフレニイ・アパルトメント
ウスロヴノスチの切符切り~合言葉:ストレンジ・フェノメナ(ケイト・ブッシュカヴァー)
星に願いを(Coccoカヴァー)
終末のひととき
ヲマヂナイ
あっちの空っていいな


下北沢でライヴを演るときは、“いびつな月のはからい”は定番なのです。
けれど、今宵のはイヴェントタイトルである『闇と、月になる』にかけた模様。
モノクロの強いイメジに支配される“スキゾフレニイ・アパルトメント”に続き…と、
こうゆうセットはナカナカ珍しい。
「『闇と月になる』は、コスプレ大会だと思います」とゆう、
大意を掴むのに15秒くらい要する(当社比)よな、短めのMCを挟んで
“ウスロヴノスチ”へ。

いみじくもね、ミニタコタレントが幾度目かの薬物による逮捕、という
熱いトピックもあったので、合言葉への大方の期待は、
すわ、ラッツ&スターか、シャネルズか…!?
という方に向けられていたようなのですが、
始まったのは、ケイト・ブッシュ“ストレンジ・フェノメナ(奇妙な出来事)”
月が絡んだときばかりしか聴けぬ、わりとレアな選曲。
いつもなら、ケイトの声帯模写で来るのですが、この日は通常のファルセットで(それでも恐ろしい)。
ケイトの怪しさが集約されている曲だと思いますだけに、
カタン氏のカヴァーはその奇怪さが幾割か増しで、ぞわっとした後味を残す。

ここでいつもの時間確認と告知MCを挟み、
不定期コーナー“ぢぇいぽっぷは日本一だ”へ…!
“月”にちなんで用意してきた曲が2曲、どちらをやるかをお客さんに委ね、
この日はCoccoの“星に願いを”

カタン氏のカヴァーって(それこそさだまさしや上条恒彦は、似てるから別として)、
ヴォーカリスト、或いはその原曲を歌うミュージシャンの“個”や
キャラクタリゼーションに埋もれがちな、楽曲そのものの魅力というか、
“よい部分”に、聴いててすごく鋭敏に反応させられる。
「あ、ココが揺さぶりどころなのだ」ということを、冷静なアタマで判断する裏側で、
しっかりその通り、揺さぶられている。
その両面をいちどきに体感できる、
“醒めた夢”のようなことを、よくやられてしまう。

「さだやる時間あるんじゃないかしら!」と嬉しそうにしてみたものの、
やはり時間は無情であったらしく“まほろば”はお預けに。
そして始まったのは“終末のひととき”そして“ヲマヂナイ”と、
月の光が届かないところへ、じわじわ誘い込まれてゆく。
終わる頃には、もうとっぷりと闇、か…。

と思いきや、最後にもう一度“あっちの空っていいな”に還ってくる。
このとき、もうカタン氏の声は掠れた囁きになっていたけれども、
それが、闇の中のよすがのように感じられるのはやはり、URiTA氏のこの曲の、
か細い強さがあってこそ。
決してやさしくはないけれども、ここのところのカタン氏の中では、
穏やかなライヴでありましたよに、思います。

SpeakerXさんは、初めて観たのだけど、
サンプリングループをいっぱい重ねる姿に、RIDEのマーク・ガードナーを思い出した。
全然、関係ないんですけどね。

サンプリングの厚みをどんどん足してって、でも軸には声とギター。
近頃では、このパターンも増えてきた気がするけれど、
それはただ単にマンパワー不足を感じさせるのか、それとも、独りであることに必然性を感じさせるのか。
SpeakerXさんのパフォーマンスは、そこを強く問うているよな気がいたしました。

そして、ラストのキツネの嫁入り。
すごく良かった。
アンサンブルの中で、すべての節目が活きていて、よりくっきりとした音像とイメージ喚起。
それが、しぜんにメッセージというか、呼び声に変わってゆく感じ。

“知る”と“見る”は、まったく別のものなのだ、と思った。
例えば、キツネの嫁入り、という気象現象について。
本州全土に伝わる怪異に由来を得た、天気雨のことを言うのだ。という知識は、あるとする。
でも、実際にそれを目の当たりにする、或いは、
体験すると、その不思議さが初めて生身に刻みこまれる。
わたしは、キツネの嫁入りを“知って”いただけだったんだなあ、と
この日のライヴを観て、思ったのです。
京都で三度、彼らを観たときは、こんなにもくっきりとした世界の中には、いなかった。
それが、五感を誘い込むように、うきうきと目の前で鳴っている。
いままで観ていたものの認識が、がらり、と変わった夜。
演る側も、聴く側も、持てる総てが全開になる瞬間。
が、どこかにあった。音楽には、こういう不思議な冒険がきっとまだある。
それは、奇抜な音を出すことでも、見たこともないリズムパターンを描き出すことでもなくて、

案外こっそり、足許の暗闇に潜んでいたりする。


終わった後、これまで感じたことがないような多幸感に包まれて、
水のようにビールを飲んでいたことは、言わない…。

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