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京都、そして『学校で、教わらなかった音楽』【関西旅話・前篇】

  • 2011/09/04(日) 12:00:00

ライヴ記、というより
ほぼ、旅日記。
そして、また前後篇。


キツネの嫁入りが、永らく京都・アバンギルドを軸に繰り広げていたイヴェント、
スキマ産業」。
このイヴェントは、2008年頃から時々、拝見しているのですが
いつも“イヴェント”への気持ちの盛り上がりと、
観ている間の漂泊するような感じ、
そして、大きな思い出で心を埋めてくれます。

今回、やはり京都で実験的なイヴェントを多く手掛けているP-hourさんとの
共同企画で行われたのが
「スキマアワー 学校で、教わらなかった音楽」。
9月3,4日の2日間、
ライヴハウス「木屋町アバンギルド」と
その目と鼻の先にある「旧・立誠小学校」にわたって行われた、
大規模な催し。

公式サイトは、こちら。

わたしは、このイヴェントの2日目に、ちょこっと遊びに行かせて頂きました。
2日目は旧・立誠小学校のみで、
講堂・職員室・和室(!)を行き来しての開催。

講堂一番手のタテタカコさん、
和室での日比谷カタンさん、
講堂に戻ってキツネの嫁入りの3組を拝見してのち、
東大阪のBar Trinityへ。
そして再び京都にもどり、アバンギルドで打ち上げに参加させて頂きました。


イヴェントは出来る限り
「ひとつ、通して観るもの」が原則だと考えています。
そこにはいろんな背景、過程が隠れていて、
それを知っても知らずも、ステージを観ることでそれらを汲み取れるような
「意志」まで感じられるものが、
イヴェントとしてひとつの「成功」だと思うし、
観る側としても、そこまで愉しみつくしたいもの、だと思うから。

故に、今回は(あくまで、自分のなかの、ですよ)その原則を破るかたちになってしまったし
そのことを口惜しく思っていたのですが、
「この日、この動き方をしなかったら、見つかんなかったものもいっぱいあるでしょ?」
とのお言葉を頂いて、
「ああ、ほんとだ。良い旅だった」と、再度確認したのでした。
だから書くよ(長いけど)。

というか、
この日は、ほんとに出鼻からいろいろ、挫かれていて。
こんなに怒ったのは干支一回り振りだよ!!
というくらい、頭にくる出来事もあったのですが(主にホテル)
それが故に、見知った笑顔の有難味も、思い知りました。

チェックインなのにフロントが無人で、宿泊手続きが滞り、
三条から木屋町通まで濡れ鼠で走り抜けて、
気持ちがごわごわになってるところに
遠くからすーっと聴こえてきたのが、タテさんの“宝石”。

急いで講堂に向かうと、
久々に観るタテさんは、無垢なほど白に近い金髪で、
いつものすーっと伸びた背筋で、美しくピアノに向かって
歌っていたのでした。

“宝石”が主題歌となった、映画『誰も知らない』の、
置いてけぼりの、子どもたちが、脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消えしてゆきました。
その暮らししか知らないが故の、屈託のなさというかなしさ 
そしてそれを「かなしい」と憐れんでしまうおとなの驕り。
そういう、負の、重たくて黒いものと向き合ってなお、
この曲が光るのは、タテさんの眼が遍在しているからだ、と思います。

そう。タテさんのうたは、
一人称で歌われていても、どこか第三者的な鳥瞰のところにある。
かと思って、今度は景色をうたわれると、ぐっと『人間の目線』に近くなる。
それらは行き来というよりも、ぐるぐると巡っていて、
うたによってフォーカシングされる。

このひとの眼と、こころの透明さは、本当に不思議だ。

軽い筈なのにかっちりとして礼儀正しく、その四角さがおかしみを生む
タテさん一流のMCも、ちょこちょこと挟みながら
(激しめの曲のあとに
「このあと、ひーちゃんが使うのにツバ飛ばしちゃった…」と
手拭いで鍵盤を拭くところが、妙に納得されてしまうのは、タテさんだけだと思います)
約1時間のステージを終えて、次は3階の和室へ。

すると、既に「月影屋」謹製、白地に紺の鱗柄の浴衣で、
高座(?)にスタンバイするカタンさんあり。
和室は、随分と音がまるく、指馴らす高音も、滑らかに聴こえてました。
三々五々、お客さんが集まり来るなか、
まずは“ヘテロのワルツ”からの始まり。

旧・立誠小学校は、元小学校であり、現在も公共の施設、ということで
イロイロ規制が厳しい…ということを伺っていたため、
やはりそこを意識して
「ジンカクを疑われない」セットリストになるのかしらん…?
と、思いきや。
「第二次性徴のやつらが、たくさん巣立って行ったところですねえ」
というMCからの
“ベビースキンの世界紀行”辺りから、いつものカタンさんノリ、Ver.やや艶(つかシモ)へ。
さんざ会場を沸かしつつ、なんとまあ
“愛のギヨテヱヌ!恋するイミテシヲン!!サ!”まで披露。
ラストの“対話の可能性”には、お客さんはしっかり敷き詰まっていて、
やんややんやの大歓声、あすこだけは“学び舎”から切り離された
“お座敷”に、まさしくなっていたのでした。

あとで思えば「なるほど保健体育担当だよねー!」と、
合点もいったわけですが。
「習うよりも、まず実践してみたら?」という、
日比谷カタンに向かうときの姿勢も含め、ね。
つまりは、こんなときでも流石のT.P.O。

そしてまた講堂に急ぎ戻り、キツネの嫁入りを。
深緋の緞帳の前では、さながらリアルな人形劇のようにも映ります。
それは“キツネの嫁入り”を舞台化する異化効果として面白く映り、
アバンギルドの人肌っぽさや、440の『音楽のステージ』然とした空間づくりと
また趣を異にしていました。
というか。
キツネの嫁入りも、やはり広いステージがよく似合うバンドです。
メンバー同士の間隔が、より全体のうねりをつくるための、よい隙間になってくれる。
観る度に『バンドっぽくなるなあ』と、嘆息するのでした。
ひーちゃんのグランドピアノの鳴りがすごく高らかで勇ましくて、
それもまた新鮮にマドナシさんのうたを後押しする。
思えば、キツネの嫁入りのレポを書くぞ、と思うとき、
それは報告ではなく『印象の感想』という、レポとしてはダメダメなものになってしまうんですが、
彼らのライヴに、ある程度の“型”はあっても、それをゆるゆるとはみだし
浸蝕してゆく“空気”の方が記憶に残りやすいからなんでしょう。

カリキュラムとしての『音楽』の中よりも
放課後、少しだけ解き放たれた気持ちで触れたことで
『音楽』をより、覚えていたり
何でもないときに、ふっと校歌を口ずさむ瞬間があったり、
たぶん、今回『学校で、教わらなかった音楽』が、
旧・立誠小学校という場所で開かれたことで、
そんな『記憶』の後押しがあったんじゃないか、と思います。

『学校』って、卒業した後に忍び込んだり歩いたりすると、
ようやく好きになれそうな気がする、いつも。
そんな風に思い始めて、後ろ髪を引かれつつも、さて、次の目的地
『Bar Trinity』へ。

つづく。

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