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ピクニック at 廃墟。■12月26日 『音街ピクニック』 Vol.10 於池ノ上ruina

  • 2010/12/27(月) 04:00:00

出演

夜の夢
日比谷カタン
AZUMA HITOMI


ブログ『クレーター通信』の著者、
いつもお世話になってます、津田真氏主催のイヴェント
『音街ピクニック』も、いよいよ10回目。

このイヴェントは
毎回、リスナーの根本の気持ちに、立ち帰らせてくれる。

『ライヴを観にゆく』というのは、全身を使った行為なので
ただ、音を聴きにゆく、勿論それが第一の目的であっても、いろいろな付加価値が
ついたり、或いは求めたり、してしまうきらいがある。と、思うのです。
でも、『音街ピクニック』は、
その付加価値(も、やっぱり大事ではあるのだけれど)よりも
「音楽、聴きに来たんだ」
ということを、意識せず、ほのかな喜びを以て感じさせてくれる。

が。
今回に於いては、激しく強い意気込みを感じました。
この面子にしても、twitterでの、氏のつぶやきを通しても。

これはあくまでいち観客の主観。
なので、ほんとのところは、主催のご本人から
語られるのを待つ、として。
わたしは、今宵のピクニックの参加証言を。

まず、一組目は『夜の夢』。
わたしは初見だったのですが、
ギター&ヴォーカルの青年と、ドラム&コーラスの女性の2人組。
これだけでも、変則的な編成、とゆう気がする。
「夜の夢の歌詞は、ぜんぶ英語なんで」というドラム&コーラス、新林さんのMCが
冒頭にあったのだけれども、
ギター&ヴォーカルの山田さんが口にしているのは、
どう聴いても、日本語である…。

わりと低めのところをごいごい、押してくるギターと、
淡々と正確無比なドラミング。
かっちりとしたサウンドのうえで、様々な“夜”が乱舞する。
不穏な夢でもあり、寒々しい路上でもあり。
或いは、カーテンの隙間から覗く紺碧、うっすらとした月の明かりでもあり。
コンセプトを設定していなくても、自ずからひとつの世界観に
しぜんと、歩み寄っている、と思えるような、統一感。

新林さんのMCは、ぜんぶデタラメ
(時々、事実っぽいのが混じるところが、巧いウソをつける人だなあ、と感服する)で、
それこそ、目覚めて消える夢の不思議な余韻が残る。


続くは日比谷カタン氏。
まずは“ベビースキンの世界紀行”からスタート。
これは、今年の3月にtwitterで“できました”宣言とともに産声をあげた
オザケン復活やら、非実在青少年やら、それこそ雑多に流れゆく
リアルタイムの情報がしゅるっと、まとまった形で表れた曲で、
『多様性とダダ漏れのなかにある』と未来を迎えんとす、
津田氏の意志と、さりげなく符合するよに思うのです。

そして“ウスロヴノスチの切符切り”に続く。
やたらと巻き舌に気合が入っているよ…?と思っていたら、
合言葉では
東京ドーム3Daysを終えたLUNA SEA
“ROSIER”“END OF SORROW”をメドレーで…!
“ROSIER”サビ辺りからカタンカラーに染まっていったけれども、
Aメロのウエット具合は、RYUICHI先生によく似ていらした…。

「MUNA SEA(むなしー)でお送りしようと思います」と、
順当すぎるけれどもやっぱり巧いMCを挟んでは、
12月頭に出来たばかりの新曲“椛狩~赤の運命~”
「さだまさし御大の新曲」と胸を張るこの曲は、そのコンセプトに沿って
実によくできていて、歌い方も当然、さださんにそっくりなのだけれど、
やはり今日は、カタンカラーが強い。

歌いあげで喉が少し枯れ気味だったけれども、ものともせずに
“ヴィリジアン・ゼラニウム~少女緑化計画~”
“終末のひととき”“対話の可能性”
と、ここからは怒濤の流れ。
繋げた構成にはなっていたけれど、1曲1曲の輪郭がくっきりとしていて、
“歌”の印象が、強くなっていたのです。
冒頭に書いた『音街ピクニック』に訪れたときの
立ち帰りと、問い直し。
これは、カタン氏のライヴに於いて、
わたしが勝手に、そして我知らず何度も何度も繰り返してきたこと
(であるが故に、常に最初の新鮮な印象を、持ち続けているの)かも…と
改めて、気付くきっかけにもなった。
全部で6曲(合言葉入れると、8曲…?)、決して少なくはなかったのに
カタン氏の40分は、体感時間が、やっぱりとても短い。

そして、トリは
セッティングからお楽しみのAZUMA HITOMI嬢。

初めて彼女のライヴを観たときは、サポートドラムのルイくんと2人で、
打ち込みの精度の高さ、ディテールと、仁王立ちで表情豊かにうたう、
彼女の姿勢と眼差しにやられていた。
二度目は、突然決めて向かった吉祥寺クレッシェンド。
DTMと、エレピと、ドラムを同時に操るその立ち姿に、思わず噴きそうになってしまった。

そして、三度目の今日。
やっぱり今回もひとりで、ドラムとちっちゃなエレピとノートPCが組まれている。
更に、トライアングルや鈴などのパーカッションもちらほら。
ステージ正面を向いて、ライヴが始まると、彼女は
買ったばかりだというトライアングルで細かくリズムを刻み、
やっぱり、すごく表情豊かにうたう。

黒目がちな瞳が、まっすぐ中空を見つめて、口元には笑み。
AZUMA HITOMIは自分の持ち得るすべてを武器に、
軽やかにステージに臨む。
小さなからだでの、あの仁王立ちはその意志表明のよな気がするのです。

口の開いたペットボトルを握ったままでかがんでしまって、
ボトルの水が機材のうえにこぼれる、というアクシデントに
ドジっ娘萌えをくすぐられるも(わたしだけでしょうか…)、
“情けない顔で”“破壊者アート”と続いた
ハードな曲での気迫には、ただただ圧倒させられる。

そしてラストは
“君は今孤独の耳栓をして布団の模様をなぞってる”
このタイトルに、カラフルな曲調。
HITOMI嬢の伸びやかな声と、弾むリズム。
軽くつねられたあとに、温かく手を握られるよな、
嬉しいアンバランス。

この数日前に、無料DLできる新曲(ライヴでは、夏くらいからやっていた模様)
“無人島”を聴いて、夜中に大いに身悶えしていたのですが、
その理由も、ライヴを観て解った。

楽曲の完成度の高さは勿論、確信を持って支持していたのだけど、
やっぱり、AZUMA HITOMI彼女自身のキャラクターに感じる魅力。
これって、すごく大きいのだということ。
だけれども、“無人島”という曲の伸びやかさ、浸透率、
それらは、“AZUMA HITOMIのうたう無人島”よりも
“無人島をうたうAZUMA HITOMI”の姿に、思いを巡らさせる。

“作品”が先導して、彼女の才能の魅力にも、より眼を向けさせた。
表現するひと、として、さらなるたくましさを感じたのです。
AZUMA HITOMIのライヴに感じるすべてが、凝縮されたよな40分でした。


この面子での『音街ピクニック』開催を聞いたとき、
思わず
『ピクニック・アット・ハンギングロック…』と呟いてしまったのですが、
津田氏の思い描く“ピクニック”には
また違う意味合いが込められていたようです。
いずれにしても、ひとつのコトバから
幾つものイメージが生まれいずること。の、面白さ。

通い慣れたruinaで聴く、ざりっとした荒削りなエレキギターの音。
様々に変遷する、“いま”の鏡映し。
高らかなシンバルの響き、バスドラの連撃。
実際に行ったピクニックは、境目のないジャンルレスの平野でした。

毎回配られる『ピクニックのしおり』に
「今回のテーマは“縁”といってもいい」と記されていましたが、
思えば今年は、ほんとに不思議で喜ばしい縁がたくさんあった。
この夜は、総決算のようでもあって
ほんとだったら結びついてゆかないような多様な姿を、
『人の縁』は結んでしまう。
その縁の一端に参加できることの歓びを
ひしひし感じながら、帰路に就いたのでした。

おうちに着くまでが遠足です、とはよく言ったもの。
けれど、わたしのピクニックはまだ終わっておらず、
夜の間は余韻とともに
隠れていたい、気分なのです。

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